照れて照れて、
まともな顔ができません。
「クツをはいて歩ける」ということと、
「手をつないで歩く」ということは、
けっこう違うことなのです。
ただ自分で歩くだけなら、
勝手に自由に歩けばいいだけなのですが、
片手の自由を奪われて歩くということは、
なかなかできなかったんです。
おそらくバランスが取りにくくて、
歩きづらかったからでしょう。
でも、
今のちょーさんは片手をパパスに握られても、
歩けるのです!
そして、
握った手のぬくもりから感じるのは、
いやいやながらではなく、
たぶんちょーさんも握っていたくて、
パパスと手をつないでいるんだという感覚。
そうなんです!
片手の「自由を奪われて」いるのではなく、
ちょーさんの内面からひろがる能動的な自由を、
ちょーさん自らパパスのほうへ向けているのです!(たぶんネ)
そうして、
パパスの存在を感じている。
そう考えると、
パパスは照れて照れて、
まともな顔ができません。
あたたかでやわらかくて小さい、
そんなちょーさんの手から感じるちょーさんの意思。
ちょーさんの成長をひしひしと感じて、
パパスは、うれしい。
ちょーさん、
これからどんどん散歩にいきましょうね!
と言いたいところなのですが、
この先ちょーさんもパパスも苦手な冬がやってくるので、
冬の間は家の中で手をつないで、
ちゃぶ台の周りでもまわっておきます。
春はまだかー!
(2011.11.10 UP)