テレビで、
津波の残酷な映像を見て、
行方不明のこどもを探す親を見て、
悲しくなって、
人々が互いに助け合う姿を見て、
涙の再会を見て、
あたたかい気持ちをもらって、
パパスは心もちが不安定で、
ちょーさんの数秒のおすわりの姿に、
涙がでました。
心もちが不安定だというのは、
連日の報道を目にして、
苦しんでいる人たちのためになったらと、
ショッピングセンターの募金箱に、
500円玉を入れることくらいしかできない自分の、
無力感からくるものなんだと、
地震の日から一週間たって、
はっきりとそう自覚しています。
被災地の人々の窮状を、
同情をこめてみる目。
現地で救援活動をする人々を、
喝采をもってみまもる声。
政府の対応を、
もどかしく思い非難する声。
報道のありかたを、
声高に嘲笑する声。
騒ぎに乗じて、
募金といつわり私腹を肥やす動き。
ひとりあたりの募金金額を、
それじゃあ経費にもならないと笑う声。
そして、
いつもどおりに動きだす毎日と、
いつもどおりの我が家。
善悪の判断はひとまず無視して、
みんな一人一人それぞれが、
今回の災害を受けて、
それぞれの考えを形にしようとしています。
そしてその光景には、
こんなにも多くの人々が、
こんなにも活発で多様な想いをもって生きていると
改めて実感させられます。
そこにひときわ強くひとつ、
感じることがあります。
それは気持ちであれ身体であれ、
みんな集まると前向きになる、ということです。
明るいところへ向かって、
進もうとする。
15年前の神戸と、
(パパスは小学4年でした)
今の美しい神戸をみて、
その復興の早さと力強さにいつも驚嘆させられます。
今回被害をうけた地域も、
これから人の力が集まって、
悲しみは消えなくとものみこんで、
すごいスピードで、
「いつもどおり」
を取り戻していくのでしょう。
情けないですが今のパパスには、
被災された人たちのために即効性・実効性のあることは、
どう背伸びしたってなにひとつできないということが、
震災から一週間たって、
はっきりとわかりました。
今できることは、
今も変わらない「いつもどおり」の毎日を、
被災地の「いつもどおり」が一日も早く戻るよう、
精一杯の応援の気持ちを込めて、
ただしっかりと、過ごしていくことだけなのかもしれません。
(2011.03.19 UP)